伝統産業
和泉砂岩の切り出しと加工
和泉名所図絵
江戸時代に刊行された『和泉名所図会』には、現在の阪南市域の特産品として、和泉砂岩とそれを加工する和泉石工が記載されています。当時より採石や石材加工が盛んに行われ、多くの石工が存在し、全国で活躍していたことが知られています。
孝行臼
和泉砂岩を使って作られたもので、硬い魚を砕いたり、引茶や白酒造りなどに使用されたました。いり豆やかき持ちなどの硬いものをこの臼を使って砕き、やわらかくして親に食べさせたことから孝行臼と呼ばれたようです。阪南市指定有形文化財に指定されています。
大願寺地蔵石仏
もと下出極楽寺のもので、高さ1m90cmと府下最大です。 天文15(1546)年藤原兵衛太夫の作であることが、光背に刻まれた銘によりわかります。阪南市指定有形文化財に指定されています。
高野山崇源院五輪塔
高さ6.6メートルもある高野山一の墓石で、黒田村の石工甚左衛門の作です。
2代将軍秀忠の3男で、後の駿河大納言(するがだいなごん)徳川忠長が、母崇源院(お江の方)の一周忌を期して寛永4年(1627)に建てたものです。和歌山県指定文化財に指定されています。
箱作共同墓地地蔵石仏
箱作共同墓地にある市内最古の紀年銘をもつ地蔵仏です。高さ43cmと小さいですが、浮き彫りが厚く、しっかりした石仏で、和泉砂岩を使用して作られています。
瓦造り
和泉瓦(鬼瓦)
和泉の土質は窯(よう)業に適し、 紀州藩の御用瓦として用いられた程、上質のものでした。
長楽寺鬼瓦
平安時代後期の作と考えられ、長楽(ちょうらく)寺境内西側の府道建設工事の際、大日堂跡と思われるあたりから出土した鬼瓦は、平安時代後期の作と考えられています。
紋羽織生産
機織り機
近代化された最新設備-紡績工場
安永6年(1777)紀州和歌山の織屋、茶屋治兵衛から伝えられ、新村で広幅木綿が織り始められました。
泉南地方に紋羽織という特色ある綿織物が作られるようになったのもこの頃です。
粗末な厚手の綿布を松葉(のちには針)で起毛したもので、今日の綿ネルの前身です。
砂糖製造
甘蔗繰り具と風景
泉州で江戸時代から明治のはじめまで、砂糖製造は当地の主産業でした。甘蔗(かんしょ)の栽培が行われるようになったのは、波有手(ぼうで)村古家勘七郎が紀州から苗木を取り寄せ、植え付けたのが始まりで安永3(1774)年であると言われています。
漁業
わかめ干し
漁港
北を大阪湾に望む阪南市では、古くから蛸壺漁や地引網漁がおこなわれてきました。現在も尾崎・西鳥取・下荘漁港では、セリ市がおこなわれています。
農業
玉ねぎの収穫
阪南市域では、水稲、玉ねぎ、キャベツ、里芋、ねぎなどが作られてきました。中でも玉ねぎは水稲の裏作として盛んに栽培されていました。近年は少なくなってきましたが玉ねぎを野吊りするための小屋は、泉州地域特有のものです。
地酒造り
日本で最初に酒というものが造られたのは、第10代崇神天皇の時代で、高橋活日命(いくひのみこと)が成功したのが始まりだと伝えられています。
市内でも以前は6軒あった造り酒屋が、今は浪花酒造のみとなってしまいました。酒造りの工程としては、蒸したうるち米に麹(こうじ)菌を植えつけて2昼夜寝かして麹を作り、それに蒸し米を加えた水に酵母菌を添加して、15~20日間かけて発酵させたのがもろみです。これを搾ったのが原酒で、残りが酒かすです。
普通のお酒の精米歩合が72%であるのに対し、吟醸酒は60%以下の精米を使用し、醸造技術的に非常に難しく、また大変手間のかかるお酒です。酒造りが冬に行われるのは、原料の新米が秋に獲れるのと、使用する酵母菌が10度位の低温に適しているからです。現在ではコンピュータが導入され、近代化が進められていますが、杜氏さんの後継者が年々減ってゆく中、ともあれ阪南市の地酒造りをいつまでも受け継いでほしいものです。
麹室での作業
吟醸酒の米粒
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