山中家文書が市指定文化財に その2

 

    令和2(2020)年、新たに市指定文化財に指定された『和泉国日根郡(いずみのくにひねぐん)箱作村山中家文書』には、近世の箱作村を中心とした泉州南部に関係する様々な史料が残されています。膨大(ぼうだい)な量の古文書はすべて解読ができている訳ではありませんが、当家文書から見える歴史を少しご紹介します。

    山中家文書には『御用(ごよう)日記』、『公用記簿』という帳面があります。御用日記は、一部の空白期間を除き、文久2(1862)年1月~慶応4(1868)年2月、公用記簿は、明治14(1881)年~同19(1886)年6月にかけて、日々の記録が付けられています。

    山中家は、大庄屋を担った期間に『御用日記』を記し、戸長を担った期間に『公用記簿』を記しています。大庄屋は土浦藩飛地領内で警察権や裁判権を持つ立場で、戸長は後の町村長にあたるため、これらは単なる個人の日記ではなく、地域の重役が残したいわゆる公務記録で、幕末から明治への地域の変化を捉えることができる貴重な史料です。

    たとえば、『御用日記』における文久2(1862)~3(1863)年には「御台場」、「郷足軽」、「異形船」という言葉や、14代将軍徳川家茂(いえもち)による大坂視察についての記述が登場します。「異形(いぎょう)船」の接近が増えた幕末は、海上防備への危機管理意識が高まり、大阪湾沿岸も強固な防備体制が整えられていきましたが、当時の箱作村ではその対応に追われていた様子が日記に反映されています。箱作村を視点とした日々の記述からは、幕末期の急激な社会情勢の変化が浮かび上がってきます。

 

    戸長:明治5(1872)年、大・小区制による地方制度改革で小区ごとにおかれました。明治22(1889)年の市町村制施行により町村長と改称されました。

    台場:幕末において、海岸防備のため沿岸部に設けられた砲台。多くは異国船への危機意識が高まった江戸末期に造られました。

    郷足軽:江戸時代末期に構成された郷兵。組織の詳細は不明なものの、非常時に徴集されました。郷兵は足軽の他、鉄砲方、合図方などで構成されました。

    異形船:来航を規制された外国船(異国船)のこと。

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山中家文書の公用記簿

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