祇園南海と書 その1(2019年11月)

憩望がん

井関( いぜき)越(こえ)街道は、( )尾崎町を起点に黒田、( )石田を抜け、( )桑畑(くわばた)を通り、( )井関峠を越えて和歌山市六十谷(むそた)に至る街道です。( )その道を桑畑の集落から井関峠側に進むと滝の池があり、( )その南の崖(がけ)に「憩(けい※) 望(ぼう) がん」の大きな文字が刻まれています。

昭和4(1929)年刊行の『大阪府史蹟(しせき)名蹟天然記念物 第四冊』には、( )その文字が祇園(ぎおん)南海(なんかい)(1676~1751年)の書と伝えられていること、想像すると祇園南海が、泉州と和歌山を行き来する途中、(  )しばしば滝の池のほとりで体を休め、( )良い景色を褒めたたえ、ついに崖壁に「憩 望 がん」( )の3文字を刻んだのではないか、と記されています。( )

また、( )同書には、桑畑から井関峠側に3町(ちょう※)行った井関川中流の崖にも祇園南海の書「兎(と※) 遊(ゆう) がん」があったが、( )激流に流され「兎」の1字が残るのみである、と記されています。( )

次回は祇園南海について述べます。( )

 

憩:休む

望:遠くをながめる

がん:切り立った崖

町:1町は約109m

兎:うさぎ