江戸時代の砂糖づくり

    江戸時代後期から明治時代にかけて(200~150年前頃)、市域で盛んに行われていた砂糖づくりですが、甘蔗(かんしょ)の植付からはじまり収穫(しゅうかく)、加工、そして砂糖の生産、出荷となかなかの重労働でした。その生産方法は、まず皮をむいた甘蔗を砂糖繰機(さとうくりき)にとおして汁(しる)をしぼり、その汁を釜(かま)に入れて煮詰(につ)めます。このときに不純物(ふじゅんぶつ)を分離(ぶんり)、沈殿(ちんでん)させる作用がある石灰(いしばい)などを加え、灰汁(あく)を丁寧に取りながら煮詰めたものが白下糖(しろしたとう)になります。白下糖は、白砂糖や和三盆(わさんぼん)の原料となる砂糖です。また、石灰を入れず灰汁を取らないで煮詰めると黒砂糖になります。

    一方、現在の白砂糖は白下糖を遠心分離器(えんしんぶんりき)などの装置にかけて砂糖の結晶(けっしょう)と糖蜜(とうみつ)を分離させ、さらに不純物(ふじゅんぶつ)を取り除いて製造されますが、江戸時代には「瓦漏(とうろ)」と呼ばれる、底に孔が空いた植木鉢状の土器を使い、時間をかけてつくられていました。

    その方法は、瓦漏の底の孔を藁(わら)で塞(ふさ)いで白下糖を入れ、表面を粘土で覆(おお)います。すると白下糖の中の余分な糖蜜が孔から滴(したた)り落ちて、瓦漏内に白砂糖が残ります。これには10日から2週間程かかったそうですが、全てが真っ白になったわけではなく、白さの程度で上・中・下などに分けられました。

   瓦漏は泉州地域から和歌山県にかけて多く出土していますが、それ以外では東京都の市谷(いちがや)や鹿児島県の奄美(あまみ)でしか確認できていません。当時の白砂糖づくりは口伝(くでん)の部分も多く、不明な点がたくさんあります。今後、瓦漏の発見例が増えていけば、江戸時代の砂糖づくりが明らかになっていくことでしょう。

 

    甘蔗:別名サトウキビ

    石灰:主に貝殻を焼いて細かくしたもの

瓦漏(口径38.9cm    高さ31.9cm   底面   箱作今池遺跡出土)

白砂糖づくりの様子

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