山中渓温泉(2016年12月)

   山中渓(やまなかだに)は、( )江戸時代には紀州街道沿いに20余件の旅宿が建ち並ぶ宿場町として栄えました。( )また、( )街道と並行して流れる山中川には、( )古くから「川の傍らに冷泉が湧く」との言い伝えがあり、( )胃腸病、( )神経痛などに効験のある鉱泉(こうせん)が湧き出していました。( )

   昭和5(1930)年、( )阪和電気鉄道(現JR西日本阪和線)が東和歌山駅(現在のJR和歌山駅)まで延伸し、( )山中渓駅が開設されるのですが、( )その翌年の7月には、( )山中川の清流を臨む地に温泉旅館「ほととぎす」が開業しています。( )「ほととぎす」は、( )朱塗りのささやき橋を渡ると木々や石を配した庭園が広がり、( )後に当時としては珍しい奇(き)石(せき)怪岩(かいがん)を組立てた大岩(がん)窟(くつ)風呂「岩戸湯」を設け、( )建物も増築を重ねて、( )100畳と40畳の大宴会場をはじめ、( )40もの客室を数える大旅館へと成長していきます。( )

   この「ほととぎす」の成功を契機として、( )趣向を凝(こ)らした温泉旅館が次々と建てられます。( )桜花満開の頃は京都清水寺の舞台の観(かん)があり、( )浴室からは紀泉アルプスや松林を展望できる「阪和館」。後ろに山、( )前の渓流(けいりゅう)には、( )朱色のみかえり橋が架かり、( )透き通ったお湯の「水晶(すいしょう)風呂」が自慢の「山中荘」。眺望(ちょうぼう)絶佳(ぜっか)を誇り、( )広大な池での魚釣りやボート遊びが楽しめる、納涼(のうりょう)には最高の「つるのや」。( )その名の通り、( )正面に極彩色(ごくさいしき)の竜宮(りゅうぐう)、( )左右に乙姫と浦島太郎を描いた「竜宮風呂」で客の目を楽しませ、( )また別館からは山中渓の全景を眺望(ちょうぼう)することができた「元禄」。これらの旅館には、( )「ほととぎす小唄」、( )「山中荘音頭」などのPRソングもでき、最盛期には、芸者さんや仲居さんが赤い前掛けをして、( )山中渓駅前で温泉客を出迎えたとのことです。( )このように山中渓温泉は、( )昭和30年代には「大阪の奥(おく)座敷(ざしき)」とまで言われ、( )温泉街は活況(かっきょう)を呈(てい)し、銀(ぎん)の峰(みね)ハイキングコースやテント村などでは、( )アウトドア・レジャーも盛んに行なわれていたようです。( )

   春には桜、夏には納涼とアウトドア・レジャー、秋には紅葉と松茸、冬には温泉(いでゆ)と四季それぞれの魅力があり、( )休日には臨時のハイキング列車も運行するほどの賑(にぎ)わいを見せていた山中渓温泉街でしたが、( )「ほととぎす」では室戸(むろと)台風によりささやき橋が流され、( )建物などにも大きな被害がもたらされます。「山中荘」は、阪和自動車道の建設により消滅(しょうめつ)。「阪和館」も、( )府道拡張工事で道路用地となるなど、( )時代の流れにのみ込まれていきます。また一方では、( )松喰(まつしょく)虫(むし)による被害で赤松が枯れ、松茸も出なくなるなど、負(ふ)の連鎖(れんさ)により旅館街は廃(すた)れ、( )温泉郷には自然だけが残されました。しかし、( )近年、( )桜の植樹やハイキングコースの整備、( )ホタルやアユの放流など、( )その残された自然を活用しようとする活発な動きが見られ、( )さくら祭りやホタルの舞う里として親しまれています。( )

山中渓温泉の案内板 山中渓温泉の案内板

山中渓温泉の案内板

山中渓駅前の観光案内 山中渓駅前の観光案内

山中渓駅前の観光案内

「ほととぎす」と「阪和館」の入口

「ほととぎす」 「ほととぎす」

「ほととぎす」