葛城修験道と桜地蔵経塚(2015年12月)

 

    紀伊国、和泉国、大和国、河内国の境に連なる金剛・和泉山脈は、古くは葛城山(かつらぎさん)と呼ばれ、奈良県の大峰山(おおみねさん)と並ぶ修験(しゅげん)道(どう)の霊山(れいざん)です。

    修験道の開祖として仰がれる役小角(えんのおづぬ)(役行者(えんのぎょうじゃ))は、奈良時代(約800年前)の人物で、若いときから葛城の山中に分け入って修行を重ね、呪術的(じゅじゅつてき)験力(けんりょく)を得たと言われています。小角は和歌山県の友ヶ島(ともがしま)から 大阪府柏原市の亀(かめ)の瀬(せ)(大和川河川敷)までの葛城山中28ヶ所に法華経(ほけきょう)二十八品(ほん)(品は仏典の章節)を一品ずつ埋納して経塚(きょうづか)を造ったと伝えられます。経塚は江戸時代になると「葛城二十八宿(しゅく)」と呼ばれる修行場となり、総延長は二十八里(約112km)に及びます。( )阪南市山中渓(やまなかだに)の境(さかい)谷(だに)には、高さ約1.3mの和泉砂岩の自然石があり、( )正面には「文安(ぶんあん)五(1448)年吉日」と刻まれています。( )

    嘉(       か)永(えい)3(1850)年に記された『葛(かつ)嶺(れい)雑記(ざっき)』によると、阪南市山中渓には信(しん)解(げ)品(ほん)第四を納めた、「入(いり)江(え)宿(じゅく)除(じ)蔵(ぞ)王(う)」という修行場があったとのことです。ここには桜の老木があったことから、「桜地蔵経塚」とも呼ばれていたようです。( )

    明治初年の神仏分離令や修験道廃止令により修験道は下火となり、( )地元の伝承や経塚の所在地が分からなくなったところもありましたが、( )戦後に調査、復興され、現在の葛城二十八宿の場所が確定されました。( )

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