文政元年10月6日、徳本上人没す
自然田(じねんだ)のさつき台口交差点近くに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と独特の字体が書かれた石塔(せきとう)が建っています。
これは、「徳本上人名号碑(とくほんしょうにんみょうごうひ)」、または「徳本念仏塔(ねんぶつとう)」と呼ばれる石塔です。名号とは「南無阿弥陀仏」の6文字をいい、宗派によっては、この6文字を唱えれば、阿弥陀仏の浄土(じょうど)に救済されるとされています。
徳本上人は、宝暦8(1758)年、紀伊国日高郡久志(くし)村に生まれ、幼少の頃から信仰心が篤(あつ)かったと伝えられています。26歳ごろに出家した後、36歳ごろから諸国を行脚(あんぎゃ)し、各地で念仏を説いたとされています。こうした行脚により、各地で多くの信者や後援者ができ、独特の字体を刻んだ石塔が建立(こんりゅう)されました。その分布は近畿を中心に全国に拡がり、その数は約1000基とも言われています。上人はその後、増上寺(ぞうじょうじ)の典海和尚(てんかいおしょう)の招きに応じ、江戸小石川の一行院(いっこういん)に迎えられました。そして翌年、文政元(1818)年10月6日に没しました。
自然田の石塔には、右側面に「于時(ときに)文政元戌寅歳(つちのえとらとし)十月六日往生(おうじょう)」と銘文(めいぶん)があるので、上人が亡くなった後に地元の信者によって、その業績(ぎょうせき)を偲(しの)んで建てられた供養塔(くようとう)と考えられます。
なお市内では、箱作(はこつくり)の宗福寺(そうふくじ)、黒田の黒田寺(こくでんじ)などにも上人の名号塔が残っています。
紀伊国日高郡久志村:現在の和歌山県日高郡日高町志賀(しが)
増上寺:東京都港区に所在。
自然田(さつき台口付近)
宗福寺 文政2(1819)年3月銘
黒田寺 文政4(1821)年7月銘
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