文政元(1818)年10月6日、徳本上人没す(2015年10月)

 

    自然田(じねんだ)のさつき台口交差点近くに「南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)」と独特の字体が書かれた石塔(せきとう)が建っています。( )

    これは、「徳本(とくほん)上人(しょうにん)名号(みょうごう)碑(ひ)」、「徳本念(ねん)仏塔(ぶつとう)」と呼ばれる石塔です。( )名号とは「南無阿弥陀仏」の6文字をいい、( )宗派によっては、( )この6文字を唱えれば、( )阿弥陀仏の浄土(じょうど)に救済されるとされています。( )

    徳本上人は、( )江戸時代中期(約300年前)の高名な僧侶(そうりょ)で、( )宝暦(ほうれき)8(1758)年、紀伊国日高郡久志(くし)村(現・和歌山県日高郡日高町志賀(しが))に生まれ、( )幼少の頃から信仰心が篤(あつ)かったと伝えられています。26歳ごろに出家(しゅっけ)した後36歳ごろから諸国を行脚(あんぎゃ)し、( )各地で念仏(ねんぶつ)を説いたとされています。こうした行脚により、( )各地で多くの信者や後援者ができ、( )独特の字体を刻んだ石塔が建立(こんりゅう)されました。( )その分布は近畿を中心に全国に拡がり、( )その数は約一千とも言われています。上人はその後、江戸・芝増上寺(ぞうじょうじ)の典(てん)海(かい)和尚(おしょう)の招きに応じ、( )江戸小石川の一行院(いっこういん)に迎えられました。( )そして翌年、文政(ぶんせい)元(1818)年10月6日に没(ぼっ)しました。( )

    自然田の石塔には、( )右側面に「于時(ときに)文政(ぶんせい)元(がん)戌(つちのえ)寅(とら)歳(とし)十月六日往生(おうじょう)」のと銘文(めいぶん)があるので、( )上人が亡くなった後に地元の信者によって、( )その業績(ぎょうせき)を偲(しの)んで建てられた供養塔(くようとう)と考えられます。( )

    なお市内では、( )箱作(はこつくり)の宗(そう)福寺(ふくじ)、( )黒田の黒田寺(こくでんじ)にも上人の名号塔が残っています。( )

自然田名号碑 自然田名号碑

自然田(さつき台口付近)

宗福寺名号碑 宗福寺名号碑

宗福寺 文政2年3月銘

黒田寺名号碑

黒田寺 文政4年7月銘