加茂神社 前半
加茂神社(かもじんじゃ)は、箱作(はこつくり)駅から線路沿いに浜街道を400m程和歌山の方に下ったところにあり、その一角だけが古い大きな樹に囲まれ、ひっそりと静まり返っています。
鳥居をくぐると左側に庁屋(ちょうや)があり、正面には真新しい拝殿、その奥にあるのが桃山時代(約440年前)の建築とされる本殿です。
本殿は、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)という神社の代表的な建築様式を成しています。流造というのは平入り屋根の前側を長くのばした形式です。屋根の材質は、阪南市内に唯一残る檜皮葺(ひわだふ)きで、過去に数回、屋根葺替(ふきかえ)に伴って大規模な修理が行われています。身舍(もや)の彫刻は彩色はかなり落ちているものの、相当な腕前の職人の手によるものと思われています。建築当初の様式を良く残していることから、昭和45(1970)年に大阪府文化財保護条例による文化財の指定を受けています。
ここには、「タマヨリヒメノミコト」と「タカオカミ」が祀(まつ)られています。社記によれば、タマヨリヒメノミコトは弘仁4(813)年に葵祭(あおいまつり)で有名な山城国(やましろのくに)の賀茂神社(かもじんじゃ)から箱作に分家してきたと言われています。
現在は上賀茂(かみがも)、下鴨神社(しもがも)と2つの社に分かれていますが、下鴨神社の方に祀られているのが「水の神」として信仰されてきた「タマヨリヒメノミコト」です。タマヨリとは「魂(たましい)が依(よ)りつく」とか「神霊が乗りうつる」ことを意味することから古代この地域を治めていた賀茂族の巫女(みこ)ではなかったかと推測されます。
また、社記には「社殿の造営にあたっては村民が協力し、上地を慣らし、良材を集めて完成させた」と書かれていますが、都の神様をお迎えする村民の気持ちはどんなものだったのでしょう。
なお、上賀茂神社に残る平安時代末期(約800年前)の史料に筥造荘(はこつくりのしょう)が見られ、当時この箱作周辺が同神社領であったことが歴史的事実として知られています。
次回は、もう1柱の神「タカオカミ」について述べます。
浜街道:別名は孝子越(きょうしごえ)街道ともいう。
山城国:現在の京都府南部
加茂神社の鳥居と平成25年9月に新築した拝殿
建築当時の彩色が残る本殿
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