絵図にみる江戸時代の阪南市

 

     阪南市は明治時代以降町村の合併を繰り返して誕生しました。江戸時代(1603~1870)の終わりには、「尾崎村」、「新村(しむら)」、「波有手村(ぼうでむら)」、「貝掛村(かいかけむら)」、「舞村」、「箱作村(はこつくりむら)」、「山中新田村」、「下出村(しもいでむら)」、「黒田村」、「自然田村(じねんだむら)」、「山中村」、「中村」、「石田村」、「桑畑村(くわばたむら)」の14ヵ村が存在していました。

    これらの村名の多くは、今日の阪南市に受け継がれています。「舞村」は明治時代に消滅しましたが、近隣で宅地開発された新興住宅地「南海団地」が「舞」の地名を復活させました。しかし、「波有手村」や「中村」、「山中村」はそれぞれ鳥取、鳥取中、山中渓(やまなかだに)に名称が変わっています。また、「山中新田村」は、箱作の一部となっています。

    市内に残る江戸時代の絵図や古文書をみると、14ヵ村が集落として記載されているほか、箱作には「箱作東村」、「箱作西村」、「飯ノ峯畑村(いいのみねばたむら)」などの表現が見られます。また、通称「福島」地区は「尾崎村ノ内福島」という表記がされており、当時は小さな集落が存在していたようです。このほか、男里川(おのさとがわ)が「大川」と表現されています。

    このように、百数十年の歴史の流れの中で村々が変わり、阪南市が生まれました。

元禄9(1696)年『曲淵市郎右衛門御代官所領内絵図』(山中家文書)

元禄9(1696)年『曲淵(まがりぶち)市郎右衛門御代官所領内絵図』(山中家文書)

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習部 生涯学習推進室 生涯学習推進担当

〒599-0292
大阪府阪南市尾崎町35-1
電話:072-489-4542
Eメール:s-gakusyuu@city.hannan.lg.jp