打ちこわしと慶応2年5月の尾崎村

    江戸時代も中期(約300年前)になると政治の腐敗(ふはい)や凶作により米の価格が高騰(こうとう)し、「打ちこわし」が起こるようになりました。
   「打ちこわし」とは、民衆が米屋を始め、質屋、酒屋などの富豪を襲撃(しゅうげき)し、家屋の破壊や家財の略奪(りゃくだつ)などを行う暴動(ぼうどう)の事です。享保18(1733)年に江戸で始まり、天明年間(1781~1789年)における飢饉(ききん)の際には、江戸だけでなく大坂、京都、広島、長崎、石巻など全国に及びました。天保8(1837)年に大坂で起きた『大塩平八郎の乱』も「打ちこわし」の一種といえるでしょう。
    慶応2(1866)年5月に摂津西宮で米の安売りを求めた事に端を発し、大坂周辺へも拡大した「打ちこわし」は、和泉国(いずみのくに)の堺、泉大津、岸和田、貝塚、佐野、そして尾崎村にまでその影響を及ぼしたようです。泉南市樽井に残る慶応2年5月24日の「日記帳」の欄に「米価が高騰し、佐野・尾崎辺に大勢人が集まった」と記されています。実際この時の米相場は、半年ほどの間に3倍近くにもはね上がり、民衆は毎日の食事にも事欠くありさまでした。
    これらの「打ちこわし」は、長州(ちょうしゅう)戦争とともに幕府に大きな打撃を与え、その後、幕府が倒れる原因となりました。

 

    摂津西宮:現在の兵庫県西宮市

    長州:現在の山口県

尾崎のまち並み

尾崎のまち並み

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習部 生涯学習推進室 生涯学習推進担当

〒599-0292
大阪府阪南市尾崎町35-1
電話:072-489-4542
Eメール:s-gakusyuu@city.hannan.lg.jp