その他の文化財

その他の文化財

平野寺(長楽寺)・鬼瓦

平野寺(長楽寺)・鬼瓦

天平年間(729~749年)に僧行基が開基したと伝えられていますが確証はありません。室町時代は根来寺に属し、七堂伽藍を備えた大寺院でしたが、天正13(1585)年、豊臣秀吉の根来寺攻めで焼失し、江戸時代に観音堂、庫裡のみ建てられたのが、現在の長楽寺にあたります。本尊の室町時代に作られた十一面観音菩薩立像は、秘仏です。また大日堂跡と思われるあたりでは、平安から鎌倉時代にかけての鬼瓦が出土しています。

首斬地蔵

首斬地蔵

豊臣秀吉が天正13(1585)年に紀州の根来寺を攻めたとき、波有手村の道弘寺を始めとする紀州側についた寺院が焼き払われ、僧達はことごとく首を斬られました。村人たちはそれらの僧達の首を集めて手厚く葬り、その上に石地蔵を建て命を落とした僧たちの冥福を祈ったと伝えられます。現在も首から下の病を治すとのことで、多くの参詣者が訪れています。

神光寺(蓮池)遺跡

阪南市で最も古い遺物である有茎尖頭器が出土しています。この石器は縄文草創期(約12000年前)に近畿地方を含む広い地域で盛んに作られ、槍先として使われました。後に登場する弓矢の方が狩猟に有利だったため、有茎尖頭器が作られたのは縄文草創期に限られます。

蓮池

市内で最大のため池です。いつの時代に造られたかは不明ですが、江戸時代初期に修理された記録は残されています。地元には、俊乗坊重源という、平安時代末から鎌倉時代初め頃の僧によって修理されたという伝承が残っています。

玉田山1号墳 (平成14年1月29日 大阪府指定史跡)

玉田山1号墳出土品

直径約11.5mの円墳で、主体部は横穴式石室です。昭和36(1961)年の発掘調査で、被葬者が2回以上埋葬されたことが確認されました。須恵器・金環・銀環・ガラス製小玉などが出土しており、6世紀末から7世紀初めの古墳です。

 

玉田山2号墳 (平成16年1月21日 阪南市指定史跡)

直径約12mの円墳で主体部は横穴式石室ですが、上部は大きく削り取られ、高さは不明です。平成15(2003)年の発掘調査で、遺物はほとんど出土しませんでした。7世紀初めの古墳です。

抜水(ぬきず)

明治時代に鳥取中の根来紋治郎氏が考案した灌漑施設です。抜水の仕組みは、水を引きたいと思う田畑より高い土地にある井戸の持ち主に依頼して、その井戸の側面にトンネルをくり抜き、傾斜を利用して田畑に水を導くというものです。現在は紋治郎氏の功績をたたえて明治34(1901)年に鳥取中の交差点に建てられた「湧泉之碑」の近くの抜水にだけ、その流れを見ることができます。

向出遺跡

山中川と菟砥川に挟まれた、縄文時代から江戸時代にかけての遺跡です。平成10(1998)年の発掘調査では、縄文時代後期(約3000年前)の墓坑が200基以上集まった大墓域群や、弥生時代後期(約1900年前)の竪穴住居の他、多数の縄文土器や弥生土器などの遺物が発見されました。縄文時代の呪具である「石棒」は、西日本では初めて立てられたまま出土しました。

自然居士の大いちょう (昭和56年6月1日 大阪府指定文化財)

自然居士の大いちょう(大阪府指定文化財)

自然田地区は、謡曲「自然居士」の主人公・自然居士の出身地であるとの伝承が残っています。いちょうの大樹があるこの付近に自然居士の住居があったとされることから、このいちょうは「自然居士の大いちょう」と呼ばれ、親しまれています。樹齢約450年、高さ16m、直径1.2mという大きないちょうの木は、自然居士の像が祀られた祠のかたわらで、現在も生きつづけています。

瑞宝寺

延宝の初め(17世紀頃)、覚誉上人によって浄土宗瑞宝寺として創建されたと伝えられます。

木造 聖観音菩薩立像(瑞宝寺) (平成14年3月14日 阪南市指定有形文化財)

木造聖観音菩薩立像
木造聖観音菩薩立像

高さ73.9cmの檜の一木造りの仏像で、元は波太神社神宮寺であった神光寺の所蔵といわれています。製作年代は平安時代後期(11世紀後半)で、雅な趣をたたえた、作域も高い仏像彫刻です。なお、髻(もとどり)部と天衣、両足首、肩先及び金属製の宝冠と胸飾りは、後の時代に補われたものです。

鉦講(瑞宝寺) (平成15年2月28日 阪南市指定無形民俗文化財)

鉦講

鉦講には双盤念仏と伏鉦念仏の2つがあり、どちらも4人1組で鉦を打ちながら念仏を唱え、おつとめをするものです。双盤念仏は主に春秋の彼岸や盂蘭盆、地蔵盆のときに、伏鉦念仏は通夜のときにおこなわれます。構成員は同寺の檀家で、原則として一子相伝の家系を守り、念仏の唱え方は口伝でのみ伝授されてきました。4艇ある双盤のうち2艇には、元文3(1738)年の銘があります。平成20年1月、大阪府の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されました。

満願供養塔(端宝寺)

明治28(1895)年3月、地元の人々によって建てられた「誠覚法子」の満願供養塔です。これは宝篋印塔という形態のもので、高さは約3mあります。「三十三度行者」は、西国三十三ヶ所の寺院を33回まわることを目指した行者で、満願を果たすと盛大な満願供養を行い、大きな供養塔を建てました。

箱作越街道

箱作から飯ノ峰畑を通り、和歌山へ通じる街道です。江戸時代には山から切り出した和泉砂岩の運搬に活用されました。和泉砂岩は価格も安く細工がしやすかったため、墓石や石臼などへの利用が江戸時代には急速に普及しました。

井山城跡

飯ノ峯畑南方の尾根上にあり、南北朝時代(14世紀)の合戦の時に使う、臨時の山城であったと思われます。足利尊氏に仕える高師泰の下で活躍した淡輪助重が主に井山城を守ったとされています。昭和62(1987)年に行なわれた発掘調査では、曲輪※等が発見されました。また、海抜100mで検出された焼土坑は、のろし台等に用いられた可能性があります。井山城跡はその後開発され、スカイタウンに生まれ変わりました。

※曲輪(くるわ) 城や砦の周囲に築いた土手や石垣

 

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生涯学習部 生涯学習推進室 生涯学習推進担当

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