井関越街道に沿って

井関越街道イラスト(はんなんマップ悠歩みちより) 作画:角田光和さん)

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井関越街道

井関越街道

井関越街道は、尾崎町を起点に黒田、石田を抜け、桑畑を通り、井関峠を越えて和歌山に至る街道で、鳥羽伏見戦争のときは、多数の会津藩敗残兵が紀州藩を目指し、この街道を通り抜けました。街道沿いの家々では、戸を閉ざし、息をひそめて待つ者や、荷物をまとめて山中へ避難するものも多かったといいますが、途中傷が悪化し、力尽きて死んだ落ち武者に対し、桑畑の村民が山中に手厚く葬ったという話も残っています。

成子家住宅 (平成13年10月29日 国登録文化財)

成子家住宅

成子家は代々酒造業を営む、現在では市内で唯一の造り酒屋です。尾崎村の状況が記された文化3(1806)年の古文書にみられる3軒の造り酒屋の1軒と考えられています。主屋は間口幅11間(約19.8m)に及ぶ大型町家です。大正5(1916)年の建築ですが2階の開口部はすべて虫篭窓であり、伝統的な外観を保持しています。主屋を始め離れ座敷、表門、酒蔵等の10棟の建物が平成13年10月に文化財保護法による登録有形文化財に登録されました。

波太神社 (平成5年12月9日 重要文化財)

波太神社 波太神社
波太神社本殿 波太神社本殿

創建年代は不詳ですが、平安時代に編纂された『延喜式』にはすでに記載されています。本殿にはこの地の豪族であった鳥取氏の祖と伝えられる角凝命(ツノコリノミコト)を主神とする波太宮と、応神天皇を祭る八幡宮が祀られています。社殿は豊臣秀吉の根来攻めの際に焼失し、現在の社殿は寛永15(1638)年に再建されたもので、江戸時代初期の特徴が残る「三間社流れ造り」という建築様式です。屋根は本来、檜皮葺でしたが、現在は銅板に葺きかえられています。また、本殿前に建つ拝殿は、昭和10(1935)年頃に再建されたものです。正面に千鳥破風が二ヵ所見られ、中央の軒には唐破風が付き、建築当時の優美なたたずまいを見せる本殿は、末社三神社と共に、平成5年に国の重要文化財の指定を受けました。

三十六歌仙扁額(波太神社) (昭和45年2月20日 大阪府指定文化財)

三十六歌仙扁額

三十六歌仙扁額とは、室町時代に生まれた扁額歌仙絵の一形式で、36枚の扁額それぞれに1人の歌人の肖像とその歌とが描かれています。江戸時代に流行し、神社に奉納されました。波太神社に、いつ、どのように伝来したかは不明ですが、歌仙の像は、元禄時代(1688~1704年)の宮廷絵師であった土佐光成の筆によるものです。金泥で装飾された色紙に、様々な変化ある歌仙の姿が極彩色で描かれていて、土佐光成の代表的な歌仙絵であるといえます。黒塗りの枠を付け、四周に鍍金の金具をつけた豪華な装丁で、保存状態も良く、2個の木製櫃に収納されています。

慶長の石燈籠(波太神社)

慶長の石燈籠

拝殿前に建つ和泉砂岩製の石燈籠は、慶長5(1600)年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として波太神社を修復した時、且元が寄進したといわれています。中台に浮彫りされた雁と蟹のデザインはめずらしいもので、当地の石匠による作品であるのかもしれません。

鳥取池緑地桜の園

鳥取池緑地桜の園は野外活動・憩いの広場・キャンプ場として平成7年に開園されました。鳥取池に隣接し周りを山々に囲まれていますので、四季折々を通じ、子供からお年寄りまで十分に自然を楽しむことができ、とりわけ春には桜を満喫できます。ご利用の際には、申し込みが必要です。

鳥取ダム

桑畑にある鳥取池は、灌漑用として井関川上流をせき止め建設された池で、その水は井関川、菟砥川、山中川、男里川の流域の田畑で利用されています。戦時中の昭和19(1944)年に着工し、昭和23(1948)年に完成していて、戦中戦後の資材不足の時に築造されたため、昭和27(1952)年の豪雨により決壊し、深刻な被害をもたらしました。その後、農業用ダムとして復旧工事が行なわれ、昭和33(1958)年に完成しました。

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