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郷土が生んだ文人 石橋直行と「泉州志」(2020年7月)

   江戸時代初期( )尾崎村の大庄屋の吉田九右衛門清章(よしだきゅうえもんきよあき※1)( )泉州でも屈指の俳人で( )泉郡池田郷(まん)(ちょう)村(現和泉市万町( )の大庄屋伏屋(ふせや)重賢(しげかた)とともに俳壇で活躍していました( )重賢は( )後に国学の祖といわれる僧契沖(けいちゅう※2)を屋敷内に住まわせ( )多くの古文書や古書籍を提供していたとのことです( )この重賢は( )その晩年にかねてからの念願であった泉州地方の歴史( )地理を記した書の編纂(へんさん)を契沖に依頼しました( )しかし、この時契沖は、徳川光圀(とくがわみつくに)の命を受けて( )万葉代匠記(まんようだいしょうき)( )( )万葉集(まんようしゅう)』の注釈書(  )を手掛けていたため( )この依頼を断らざるを得ませんでした(  )重賢の死後( )契沖は彼の遺志を実現したいと( )尾崎村の吉田清章に相談し( )隣村である(しも)(いで)の若き文人石橋直之(いしばしなおゆき)に依頼することとなりました( )

  直之は幼少のころから学問を好み( )文章も上手であったとのことです( )また( )草深い田舎に育ちながらも京に遊学し( )漢詩や和歌( )連歌、俳諧(はいかい)などを学び( )当時一流の学者とも交流があったことが知られています(  )直之は( )泉州に関する書物を読み、和泉国(いずみのくに)中を歩き回り( )神社仏閣を歴訪してその見聞を広め( )契沖の指導を受けて()泉州(せんしゅう)()』の編纂(へんさん)に取り組みました( )そして、6年の歳月を掛けて( )元禄13(1700)年( )直之が44歳のときに完成させました(  )

  『泉州志』は和泉国4( ※3)を6巻に分けて著されています( )( )現在(  )その原本は大阪府立図書館に収蔵されています( )コピーは市立図書館にもおかれています( )興味のある方は( )一度手にとって見られてはいかがでしょう( )本市域の記述は( )第6巻「日根(ひね)(ぐん)・下」にあり( )江戸時代初期の市域の概要をうかがうことができます( )

  一方、この『泉州志』が完成するころ、直之は下出村の大願寺本堂再建にも力を尽くしたということです( )彼の墓碑は大願寺にあります( )

 

※1吉田九右衛門清章:吉田家第4代。吉田家は尾崎村の開祖であると伝わっており、元は南と名乗っていたが後に吉田と改めた。元禄9(1696)年没

※2 契沖:寛永17(1640)年、摂津国川辺郡尼崎(現兵庫県尼崎市)で生まれた。武士であったが父が浪人となった為、11歳で出家した。仏典、漢籍や日本の古典を多く読み、元禄14(1701)年に61歳で亡くなるまで古典の研究に勤しんだ

※3和泉国4郡:時代によって変わるが、江戸時代には大鳥郡、泉郡、南郡、日根郡で構成される

石橋家の墓(下出・大巌寺)

石橋家の墓(下出・大願寺)

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