尾崎神社
尾崎神社は、南海本線尾崎駅から海に向かって200mほど下ったところにあります。由緒は詳らかではありませんが、地元の人の話によると、その昔、尾崎の浜は各地からの物資の荷揚げでにぎわっていました。しかし、物資とともに疫病(えきびょう)も流入し、多くの人々が亡くなりました。伝染病に効く薬などない時代ですから、人々は私財を出し合って、当時、疫病を払う神様とされていた京都の八坂(やさか)神社から素戔嗚尊(すさのおのみこと)の分霊を祀(まつ)るためこの本殿を建て、もとは「八坂神社」あるいは「祇園(ぎおん)さん」と呼んだそうです。
本殿は一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)であり、元禄様式の建築特色がみられ、境内に据えられている石灯籠(いしどうろう)からも元禄10(1699)年の銘がかすかに読み取ることができることから、およそ300年前からこの地にあったことが分かります。
本殿の東には、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)を祀る、戎(えびす)神社が並び建っており、その建築様式より本殿に比べ、少し後の時代に建てられたものであることがわかります。
一間社春日造:正面の柱間が1間(柱が2本)で、屋根は春日大社本殿に代表される神社建築の様式の一つ。棟と直角な面から出入りする。
一間社流造:正面の柱間が1間(柱が2本)で、屋根は後ろに比べ前方の方が長く、棟と平行な面から出入りする様式。全国で最も多い神社本殿形式。
本殿
戎神社
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