井関 越街道は、尾崎町を起点に黒田、石田を抜け、桑畑を通り、井関峠を越えて和歌山市六十谷に至る街道です。その道を桑畑の集落から井関峠側に進むと滝の池があり、その南の崖に「憩 望 がん」の大きな文字が刻まれています。
昭和4(1929)年刊行の『大阪府史蹟名蹟天然記念物 第四冊』には、その文字が祇園南海(1676~1751年)の書と伝えられていること、想像すると祇園南海が、泉州と和歌山を行き来する途中、しばしば滝の池のほとりで体を休め、良い景色を褒めたたえ、ついに崖壁に「憩 望 がん」の3文字を刻んだのではないか、と記されています。
また、同書には、桑畑から井関峠側に3町行った井関川中流の崖にも祇園南海の書「兎 遊 がん」があったが、激流に流され「兎」の1字が残るのみである、と記されています。
次回は祇園南海について述べます。
憩:休む
望:遠くをながめる
がん:切り立った崖
町:1町は約109m
兎:うさぎ