昭和50(1975)年11月、現在の舞小学校・舞幼稚園の建設に先立ち、横穴式石室を埋葬施設とする2基の古墳が発掘されました。ともに直径約8mの小規模な円墳で、発掘調査以前から開口していた古墳を1号墳、その西側に築造された古墳を2号墳と称しています。
死者を埋葬する玄室の大きさは、1号墳が長さ265cm、幅96cm、成人が横たわって周囲に余裕の残る広さであることに対して、2号墳が長さ170cm、幅74cmでかろうじて横たわることができる広さでした。いずれの古墳も石材は和泉砂岩の自然石や割石が使われ、玄室と通路である羨道とを区切る明瞭な袖は見られず、羨道は開口部から玄室にいくにつれて上りの急傾斜になっています。
2号墳からは、須恵器の杯蓋が出土しており、7世紀初頭~中頃のものです。また、墳丘には石室開口部に繋がるようにして左右ともに外護列石を設けています。列石は墳丘の前面のみに、墳丘裾に沿って2~3段積み上げていました。これは7世紀代の古墳に多くみられるもので、遺物の年代とも一致しています。
一方、1号墳は石室が2号墳よりも比較的古い形式をしていると考えられますので、1号墳→2号墳の順番で築かれたのでしょう。この2基の古墳に埋葬された人物は親子関係にあったのではないかと考えられています。
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