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江戸時代の砂糖づくり(2018年3月)

 江戸時代後期から明治時代にかけて(200~150年前頃( )(  )市域で盛んに行われていた砂糖づくりですが、甘蔗(かんしょ)(サトウキビ)の植付からはじまり収穫(しゅうかく)、加工、そして砂糖の生産、出荷となかなかの重労働でした( )その生産方法は、まず皮をむいた甘蔗を砂糖繰機(さとうくりき)にとおして(しる)をしぼり、その汁を(かま)に入れて煮詰(につ)めます。このときに不純物(ふじゅんぶつ)分離(ぶんり)沈殿(ちんでん)させる作用がある石灰(いしばい)(主に貝殻を焼いて細かくしたもの)などを加え、灰汁(あく)を丁寧に取りながら煮詰めたものが白下(しろした)(とう)になります。白下糖は、白砂糖や和三(わさん)(ぼん)の原料となる砂糖です。また( )石灰を入れず灰汁を取らないで煮詰めると黒砂糖になります(   )

 一方、現在の白砂糖は白下糖を遠心(えんしん)分離器(ぶんりき)などの装置にかけて砂糖の結晶(けっしょう)糖蜜(とうみつ)分離(ぶんり)させ、さらに不純物(ふじゅんぶつ)を取り除いて製造されますが、江戸時代には「瓦漏(とうろ)」と呼ばれる、底に孔が空いた植木鉢状の土器を使い( )時間をかけてつくられていました( )

 その方法は、瓦漏の底の孔を(わら)(ふさ)いで白下糖を入れ、表面を粘土で(おお)います。すると白下糖の中の余分な糖蜜が孔から(したた)り落ちて、瓦漏内に白砂糖が残ります(  )これには10日から2週間程かかったそうですが(  )全てが真っ白になったわけではなく( )白さの程度で上・中・下などに分けられました(   )

 瓦漏は泉州地域から和歌山県にかけて多く出土していますが(  )それ以外では東京都の市谷(いちがや)や鹿児島県の奄美(あまみ)でしか確認できていません( )当時の白砂糖づくりは口伝(くでん)の部分も多く、不明な点がたくさんあります( )今後( )瓦漏の発見例が増えていけば(  )江戸時代の砂糖づくりが明らかになっていくことでしょう(   )

  瓦漏(口径38.9cm 高さ31.9cm             底面
     箱作今池遺跡出土)

白砂糖づくりの様子

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