紀伊国、和泉国、大和国、河内国の境に連なる金剛・和泉山脈は、古くは葛城山と呼ばれ、奈良県の大峰山と並ぶ修験道の霊山です。
修験道の開祖として仰がれる役小角(役行者)は、奈良時代(約800年前)の人物で、若いときから葛城の山中に分け入って修行を重ね、呪術的験力を得たと言われています。小角は和歌山県の友ヶ島から 大阪府柏原市の亀の瀬(大和川河川敷)までの葛城山中28ヶ所に法華経二十八品(品は仏典の章節)を一品ずつ埋納して経塚を造ったと伝えられます。経塚は江戸時代になると「葛城二十八宿」と呼ばれる修行場となり、総延長は二十八里(約112km)に及びます。阪南市山中渓の境谷には、高さ約1.3mの和泉砂岩の自然石があり、正面には「文安五(1448)年吉日」と刻まれています。
嘉永3(1850)年に記された『葛嶺雑記』によると、阪南市山中渓には信解品第四を納めた、「入江宿除蔵王」という修行場があったとのことです。ここには桜の老木があったことから、「桜地蔵経塚」とも呼ばれていたようです。
明治初年の神仏分離令や修験道廃止令により修験道は下火となり、地元の伝承や経塚の所在地が分からなくなったところもありましたが、戦後に調査、復興され、現在の葛城二十八宿の場所が確定されました。
山中渓境谷 桜地蔵