ナビゲーションを飛ばして本文へ

現在の位置

江戸時代の産業―紋羽織―(2015年8月)

 近世の阪南市では、名産和泉石(和泉砂岩)を使った石細工を始めとして、瓦造り、綿織物、(ほし)()(小魚を干した乾燥肥料)の生産など、特色ある産業が行われていました。

 もともと泉南地域は、綿作・綿織物生産地として全国的に知られていましたが、中でも(もん)羽織(ぱおり)という特色のある綿織物が作られました。紋羽織は、厚手の綿布を松葉や針などで起毛(きもう)したもので、防寒用の織物として襦袢(じゅばん)股引(ももひき)頭巾(ずきん)足袋(たび)などに用いられていました。

 当時の史料によると( )安永(あんえい)年間(1772-81)には( )阪南市域の下荘地区を除く旧10ヵ村で( )織元(おりもと)(製造者)1戸であったものが( )約60年後の天保(てんぽう)年間には40戸になったとあります( )また( )天保(てんぽう)13(1842)年2月の自然田村の史料では「5月から6月までの期間は紋羽織の生産をやめ( )農業だけに従事すること」と制限されていた事がわかります( )それほど盛んに生産されていたのでしょう( )

 幕末に紋羽織の生産は一時衰退しますが( )明治に入って軍服の裏地として使われるようになり( )西南(せいなん)戦争(せんそう)(1877)による軍需(ぐんじゅ)増大(ぞうだい)とインフレの景気で急激な発展をみました( )その後( )明治30年頃からは足袋裏用の生地として三度目の生産ピークを迎えます( )そのころの生産体制は( )かつての問屋制家内工業( )原材料の前貸しを受けた小生産者が自宅で加工を行うこと( )から工場制家内工業( )工場に労働力を集結させ製品を生産すること( )に移り( )後の繊維産業へと引き継がれていきます( )

)

紋羽織

紋羽織

チーゼル

チーゼル(マツムシソウ科の植物で、乾燥して硬化した果穂を織物の起毛材として使用)

紋羽の商標

紋羽織の商標

Web支援ツール

  • Web支援ツールのイメージ
文字サイズ変更
標準大
背景色変更
標準黒
  • よくあるご質問・FAQ
  • 市役所へのアクセス
  • 各課のご案内
文化財あれこれ

ページの先頭へ