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「打ちこわし」と慶応2年5月の尾崎村(2014年5月)

 江戸時代も中期(約300年前)になると政治の腐敗(ふはい)凶作(きょうさく)により米の価格が高騰(こうとう)し、「打ちこわし」が起こるようになりました( )
 「打ちこわし」とは、民衆が米屋を始め( )質屋(しちや)、酒屋などの富豪を襲撃(しゅうげき)し、家屋の破壊や家財の略奪(りゃくだつ)などを行う暴動(ぼうどう)の事です。享保(きょうほう)18(1733)年に江戸で始まり、天明(てんめい)年間(1781~1789)における飢饉(ききん)の際には、江戸だけでなく大坂、京都、広島、長崎、石巻など全国に及びました。天保(てんぽう)8(1837)年に大坂で起きた『大塩平八郎の乱』( )「打ちこわし」の一種といえるでしょう( ) 
 では( )阪南市域において「打ちこわし」は起こったのでしょうか?慶応(けいおう)2(1866)年5月に摂津西宮(現兵庫県西宮市)で米の安売りを求めた事に端を発し( )大坂周辺へも拡大した「打ちこわし」は、和泉(いずみ)国の堺、泉大津(いずみおおつ)、岸和田、貝塚、佐野、そして尾崎村にまでその影響を及ぼしたようです。樽井(たるい)村に残る慶応2年の「日記帳」の5月24日の欄に「米価が高騰(こうとう)し、佐野・尾崎辺に大勢人が集まった」と記されています。実際この時の(こめ)相場(そうば)は、半年ほどの間に3倍近くにもはね上がり、民衆は毎日の食事にも事欠(ことか)くありさまでした。
 これらの「打ちこわし」は、長州戦争とともに幕府に大きな打撃を与え( )その後、幕府が倒れる原因となりました( )

尾崎の町並み

江戸時代の雰囲気が残る尾崎の町並み

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