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市の生い立ち

市の生い立ち

阪南市は、北を大阪湾に面し、南を和泉山脈と接しています。和泉山脈から流れ出る河川が形成した平野部が 古くから生活の場となっています。 現在、市域内で確認されている最も古い遺物は、縄文時代草創期(1万~1万2000年前)の石器です。 これに続く縄文時代・弥生時代の遺構や遺物もいくつかの遺跡で確認されています。古墳時代では、玉田山1号古墳から耳環や鉄鏃、須恵器、ガラス玉等の副葬品が出土しています。
生い立ち2 奈良時代には律令制度のもと、「和泉国日根郡鳥取郷」に含まれていました。平安時代になると、全国に荘園と呼ばれる神社や貴族の所有地が成立します。市内には、京都の上賀茂神社領であった「筥作荘(はこつくりのしょう)」と河内の観心寺領であった「鳥取荘」が存在していたことが確認されています。 この他、著名な紀貫之の「土佐日記」にも、「箱の浦」(現在の箱作付近の海岸)を通過したときの様子が歌とともに記されています。
生い立ち3 一方、南海道として 成立した道は、平安時代末期から貴族や庶民による熊野参詣が始まり、熊野街道と呼ばれ、かなりの往来があったようです。南北朝期には、箱作にある井山城などで南朝と北朝の攻防が繰り広げられていたようです。また、中世末期では、織田信長の泉南進駐の際に、波太神社に陣が置かれたとされています。

近世になると、幕府によって大名領や天領といった振り分けがなされ、その村の支配者が確立されました。近世にも市内に属していた村は14ヵ村で、尾崎・下出等の10ヵ村が「鳥取庄」としてまとまり、 残りの箱作等の4ヵ村は「下ノ庄」に属していました。このまとまりはこの後、現代の行政単位まで 大きく影響を与えることになりました。

またこの時期には、綿織物や瓦の製造業、石切り業等、この地方特有の新しい産業が生まれてきました。このうち、石切り業は和泉砂岩が市内の各地域で産出することから、石を加工する職人-石工-が多数存在し、全国各地にも出稼ぎに行き、活躍していることが、史料や実際の作品によって確認されています。

生い立ち

生い立ち4

明治に入り、明治22(1889)年に町村制が施行され、14ヵ村が東鳥取村、 尾崎村、西鳥取村、下荘村にまとめられました。また明治30(1897)年に南海鉄道が尾崎まで延びました。

明治22年に設立した4ヶ村は、その後昭和31(1956)年に東鳥取村を除く3町村が合併して南海町が設立しました。東鳥取村は、昭和35(1960)年に町制を施行し、両町は、1970年前後から大阪市のベッドタウンとして人口が急増しました。

その後、昭和47(1972)年10月に両町が合併し、阪南町が誕生しました。そして、平成3(1991)年10月に市制を施行し、阪南市として今日に至っています。

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生涯学習部 生涯学習推進室

〒599-0292
大阪府阪南市尾崎町35-1
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