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貝掛村の薬師寺(2020年9月)

 南海電鉄の箱作駅から東へ約800mのところに貝掛の集落があります( )集落から南西約350mのところには貝掛共同墓地があり( )そこへ続く道のかたわらには、和泉砂岩(※1)製の(せき)()()(りん)(とう)(いた)()()(ほう)(とう)(ふな)(がた)(こう)(はい)地蔵などの墓石が30数基残っており、そのなかには(てん)(しょう)9(1581)年、同16(1588)年銘の(いっ)(せき)()(りん)(とう)があります( )

 『和泉国日根郡箱作村山中家文書』(※2)には、元禄9(1696)年の(かき)(あげ)(ちょう)(※3)の貝掛村の項に「同((じょう)())宗 同村(まん)(がん)()(まつ)() (やく)()()」の記載が、(てん)(ぽう)7(1836)年の『(つち)()(さが)(みの)(かみ)(さま)()()()()()(ひかえ)』には、()(ぼり)橋の西側に「小薬師寺」と描かれており、薬師寺があったことが分かります( )

 明治6(1873)年の『(はい)()(あと)()(ならびに)(かい)(こん)()(かき)(あげ)(ちょう)』には、薬師寺は廃寺で(あざ)西(にし)()に存在し、面積は()(二)()(きゅう)()(※4)であったことが記載されています。西出というのは、この墓石が並ぶ場所にあたりで、その南に隣接して(やく)()(みち)という字名があります( )

 上記のことから少なくとも天正年間(1573~1593年)には( )この地に薬師寺が存在し、明治時代初頭には廃寺となっていたことがわかります( )その際に取り残された古い()(えん)(ぼとけ)が集められたのでしょうか。花筒なども立てられていて、今でもお参りされている様子がうかがえます( 



)

 

1 和泉砂岩…(あお)(いし)ともいわれ加工のしやすい上質の砂岩で、和泉山脈よりたくさん切り出されていた。詳しくは( )大阪の石(和泉石)」『文化財あれこれ』(20191)を参考( 
 

2 『和泉国日根郡箱作村山中家文書』…箱作村や山中新田村の庄屋( )( )貝掛村や岬町を含む一帯の大庄屋( )していた山中家の古文書(総数9,497)( )令和2430日阪南市有形文化財に指定( )詳しくは「山中家文書が市指定文化財に その12」『文化財あれこれ』(202045)を参考( 




)

 

3 元禄9年の書上帳…貝掛、箱作、山中新田など各村の(こく)(だか)や人数、社寺について書かれている( )

 

4 弐畝九歩…1歩は1(3.3平方メートル)( )1畝は30(99平方メートル)よって29歩は69(227.7平方メートル)(  )

字西出に並ぶ石造物

字西出に並ぶ石造物

『土屋相模守様江上ヶ絵図控』(一部拡大)

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