尾崎村役場庁舎は、旧尾崎住民センターとなり、平成29年3月末まで使用されていましたが、現在、惜しくも老朽化により解体中です。この建物はかつて、尾崎村役場として新築され、尾崎町役場、南海町役場、そして現庁舎である阪南市役所が建てられるまで、阪南町役場として使用されました。鉄筋コンクリート3階建て(地階を含む)、延べ床面積は107坪(約353平方メートル)で、当時、この地方には見られぬ豪華な建物でした。
『阪南町史』上巻によると、「この建築は地元出身で当時の村長であった錢高善造の創業した錢高組によって請負われた」とし、また、竣工日の記載はありませんでした。しかし、最近の調査では、その内容が分かってきています。
昭和3(1928)年11月4日の『尾崎村村会議事録(以下議事録)』によると、御大典を記念して新庁舎の建築が計画され決定されました。新築総予算20,560円のうち、庁舎新築費だけで18,960円が計上されています。
昭和4(1929)年3月26日の『議事録』では、「入札の結果、予算額より安価に落札されたので、予算を更正した」とあり、同年1月22日付の『請負契約書』により、工事は錢高組ではなく、岸和田市別所町の西村義満が14,750円で請け負ったことが分かります。また、この契約書には、「契約日翌日から起工し、同年の6月21日までに竣工すること」と決められていますが、6月13日付で「地下室工事で予想外の湧水のため、7月25日まで工期を延長して欲しい」との内容で『竣功期日延期願(原文のママ)』が提出されて、その後、8月5日付で388円90銭の『増減追加工事増減報告書』が出されています。
以上をふまえると、竣工日がいつになったのかはわかりませんが、同年11月25日付で、先の「工事請負人 西村義満」に「役場庁舎新築成工賞与金」として、200円が支払われ、領収されているため、この日以前には竣工されていたものと考えられます。
また、庁舎新築工事中に地下室の壁の中に納められ、解体中に発見された銅板プレートにも、設計者、監督、請負者の氏名が見られます。
※1 『文化財あれこれ』2014年9月「尾崎村役場」を参照。外観については、2018年7月「旧尾崎村役場庁舎の外壁を彩るタイル」を参照
※2 錢高善造:万延元(1860)年、淡輪村の四至元家に生まれ、14歳の時、尾崎村の棟梁 錢高作次に弟子入りし、21歳で養子になった。明治20(1887)年、大阪市東区横堀町に錢高組を創設した。昭和3年5月11日に尾崎村長選挙に当選し、翌年8月28日、家事都合により村長を辞職。昭和7(1932)年4月13日死去、西本願寺尾崎別院で村葬が営まれた
※3 御大典:天皇陛下が天下に君臨することを中外に宣示すること、ここでは昭和天皇即位をさす
※4 西村義満:昭和2(1927)年12月末現在の『岸和田市商工名鑑』に「請負(土木建築)」として、名前が記載されている
※5 銅板プレートの大きさは、横118cm、竪52cm、厚さ0.03mm
新築当時の尾崎村役場
解体時に発見された銅板プレート