阪南市内には、徳本上人自筆の独特な書体で「南無阿弥陀仏」を刻んだ六字名号(※)碑が3基あります(文化財あれこれ2015年10月参照)。宗派によってはこの6字を唱えれば、阿弥陀仏の浄土に救済されるとされています。
一方、是得上人の名号碑も市内には7基存在します。
是得上人は宝暦13(1763)年、徳本上人と同じ和歌山県日高郡に生まれ、増上寺回向院(東京都港区)の第十三世となりました。文化元(1803)年、勝尾寺(大阪府箕面市)で徳本上人の弟子となって諸国を行脚し、各地で念仏を説きました。こうした行脚により、各地で多くの信者や後援者ができ、その業績を偲んで建てられたと考えられます。
是得上人の名号碑は、阪南市の他に泉南市に1基、岬町に6基、和歌山県西部に16基みられるとともに、但馬(兵庫県北部)にも36基が確認されています。
是得上人は文化9(1812)年に和歌山市直川に是得庵を建立し、文政7(1824)年6月21日、大阪市内において61歳で亡くなり、直川に葬られました。
※名号:仏陀や菩薩の名。これを聞いたり唱えたりすることに功徳があるとされる。特に「阿弥陀仏」の4字、「南無阿弥陀仏」の6字をさす。
尾崎町善性寺 弘化3(1846)年
石田祐道寺 文政5(1822)年
石田祐道寺 年号不明
自然田中場共同墓地 年号不明
自然田(個人宅)年号不明
自然田波太神社伏拝鳥居附近 年号不明
山中渓温泉橋北 年号不明