南北朝の動乱に消えた井山城 その1

    市立飯の峯中学校がある桃の木台3丁目から7丁目のあたりには、南北朝の動乱期(1336~1392年)に井山城(いやまじょう)という山城が築城されました。この城跡は、関西国際空港の土砂採取により現存していませんが、開発に先立つ昭和62(1987)年、財団法人大阪府埋蔵文化財協会による発掘調査が実施されました。

    この調査では、丘陵頂部や斜面に曲輪(くるわ)状遺構、堀切、礎石(そせき)建物跡等の遺構の存在と、少量ですが、14世紀末から15世紀の瀬戸焼の碗・すり鉢・瓦器(がき)・土師器(はじき)等が出土しました。

    南北朝の動乱は、天皇主導の政治を行う南朝の後醍醐(ごだいご)天皇と、北朝の光明(こうみょう)天皇を擁立した足利尊氏(あしかがたかうじ)の対立です。後醍醐天皇が吉野に遷幸(せんこう)してからは、和泉国は南朝からの攻撃に備える重要な防衛の拠点となるなかで、井山城は合戦の場として文献に初めて登場する建武5(1338)年に、北朝方によって築城されたと考えられます。

   井山城のような南北朝時代に築城された山城は、戦乱時に使用する臨時的な城で、傾斜が急で険しい自然地形を利用し、敵の攻防に備えました。

   今回は考古学的な視点を中心にお話しましたので、次回は古文書からみた井山城をとりまく歴史についてご紹介します。

 

    曲輪:城など、一定区域の周囲に築いた土や石の囲い。またはその内側。

    足利尊氏:南北朝時代の武将。室町幕府の初代将軍。

    遷幸:天皇が都を他所へ移すこと。または、他所へ居所を移すこと。

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井山城

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