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喚譽西岸の千日隔夜宝篋印塔(2019年4月)

 前回は、回国巡業を成し遂げた「喚譽(かんよ)西岸(せいがん)」を紹介しました。この僧の名が刻まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、貝塚市水間寺(みずまてら)の境内にもあります。

 これには下出大願寺(しもいでだいがんじ)宝篋印塔が示す六十六部などの巡礼を終えてわずか2年後にあたる享保(きょうほう)12(1727)年に「一千日(かく)()」を成し遂げたことが示されています。「一千日隔夜」とは1000日間連続して、2つの社寺を1晩ごとに参詣(さんけい)するというもので、喚譽西岸はかつて阪南市鳥取中にあった「鳥取八幡宮(はちまんぐう)」と「當(当)寺観世音(かんぜおん)」(水間寺)との2カ所を往復したようです。

 この塔には大願寺のものと同じく、「喚譽西岸」の浮彫(うきぼ)りがありますが、いくつか異なる点があります。(おい)※は背負わず、左手には風呂敷包みのような荷物を持っているようで、千日隔夜も決して楽な道のりではないでしょうが、六十六部回国巡礼に比べると軽装であることがわかります。このように、同一人物であっても巡礼の種類によってスタイルを変える、ということがわかる点でも興味深い資料です。

 ※笈・・・僧などが仏具や衣類などを入れて背負う箱

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↑貝塚市水間寺所在の千日隔夜宝篋印塔

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←千日隔夜における「喚譽西岸」の姿

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