喚譽西岸の千日隔夜宝篋印塔

    前回は、回国巡業を成し遂げた「喚譽西岸(かんよせいがん)」を紹介しました。この僧の名が刻まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、貝塚市水間寺(みずまてら)の境内にもあります。

    これには下出大願寺(しもいでだいがんじ)宝篋印塔が示す六十六部などの巡礼を終えてわずか2年後にあたる享保12(1727)年に「一千日隔夜(かくや)」を成し遂げたことが示されています。「一千日隔夜」とは1000日間連続して、2つの社寺を1晩ごとに参詣(さんけい)するというもので、喚譽西岸はかつて阪南市鳥取中にあった「鳥取八幡宮(はちまんぐう)」と「當寺観世音(とうじかんぜおん)」との2カ所を往復したようです。

    この塔には大願寺のものと同じく、「喚譽西岸」の浮彫(うきぼ)りがありますが、いくつか異なる点があります。笈(おい)は背負わず、左手には風呂敷包みのような荷物を持っているようで、千日隔夜も決して楽な道のりではないでしょうが、六十六部回国巡礼に比べると軽装であることがわかります。このように、同一人物であっても巡礼の種類によってスタイルを変える、ということがわかる点でも興味深い資料です。

 

    當寺観世音:水間寺のこと。

    笈:僧などが仏具や衣類などを入れて背負う箱。

一千日隔夜宝篋印塔

水間寺(貝塚市)の千日隔夜宝篋印塔

 

 

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千日隔夜における「喚譽西岸」の姿

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