法華経を六十六部書き写し、全国66カ所の霊場に一部ずつ納経してまわる「六十六部回国納経」は、古代の山岳修験までその系譜がさかのぼり、14世紀には本格化し、16世紀以降にも盛んに行われたようです。
この納経を行う者は、各地を回って法華経信仰を勧めることから「回国聖」とも呼ばれていました。全国を巡る回国聖の納経は、極めて厳しく、苦行であったことは想像に難くありません。実際には、66カ所以上の社寺を巡るので、巡拝社寺数によって異なりますが、全国を巡り終えるには約2~3年を費やしたようです。
阪南市下出大願寺には「六十六部宝篋印塔」があります。石塔には「喚譽西岸」という聖が、「六親眷属※七(世)父母」のために西国・四国・秩父・坂東の各札所や、六十六部回国の巡礼を発願し、享保10(1725)年に成就したことが刻まれています。また、軸部の前面には、縦に長い笈※を背負い、その重さからか、体を前に傾斜させた聖の浮彫りがあり、巡礼の様子がありありと伝わります。「喚譽西岸」の活動は他にもありますので、次回の「文化財あれこれ」でもご紹介します。
※六親眷属・・・血のつながりがある一族や親族
※笈・・・僧などが仏具や衣類などを入れて背負う箱
↑下出大願寺の六十六部宝篋印塔
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