ナビゲーションを飛ばして本文へ

現在の位置

玉田山古墳群 その1(2017年12月)

 奈良県や大阪府堺市( )羽曳野市などに多くある巨大な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が築かれた古墳時代前期~中期(3~5世紀頃)に対して( )後期(6~7世紀頃)に造られた古墳は比較的小さなものが多く、大豪族(だいごうぞく)ばかりではなく地方豪族も古墳を作ることができるようになったと考えられています( )

 古墳時代後期の古墳内にある埋葬(まいそう)施設(しせつ)は、前期から見られるような古墳の上から穴を掘って造り、遺骸(いがい)を納めた後で埋め戻す「竪穴式(たてあなしき)石室(せきしつ)」に対し「横穴式(よこあなしき)石室」と呼ばれ、(ひつぎ)を納める部屋(玄室(げんしつ))と、それに通じる通路 (羨道(せんどう))からできています。『古事記(こじき)』にある「黄泉(よみ)の国」はその様子を表したものだとも言われています( )

 このころになると( )阪南市域でも古墳がいくつか作られたことが知られています( )その多くは残念ながら失われてしまいましたが、自然(じねん)()玉田山(たまだやま)西斜面にある玉田山(たまだやま)古墳群(こふんぐん)は、今でも実際に見ることのできる数少ないもののひとつです( )

 玉田山山麓(さんろく)にある玉田山1号墳は1961(昭和36)年1月に発掘調査が行われました( )横穴式石室を持つ古墳は数回の埋葬が行われることが一般的で、少なくとも2回の埋葬に使われたことがわかっています。また、副葬品(ふくそうひん)(死者への供物(くもつ))のなかには銅に金鍍金(めっき)や銀鍍金が(ほどこ)された耳環(じかん)が何組かある他、ガラス玉、琥珀(こはく)玉などがあり、葬られた者の人物像をしのぶ手掛かりとなっています( )

 調査の時には石室の天井石などは既に失われていましたが( )現在では整備され、大阪府の史跡に指定されています( ) 

玉田山1号墳(南西より)

玉田山1号墳 出土遺物

Web支援ツール

  • Web支援ツールのイメージ
文字サイズ変更
標準大
背景色変更
標準黒
  • よくあるご質問・FAQ
  • 市役所へのアクセス
  • 各課のご案内
文化財あれこれ

ページの先頭へ