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江戸時代の遭難事件 その1(2017年10月)

 江戸時代末期の人物であるジョン(まん)次郎(じろう)をご存じの方も多いと思います。天保(てんぽう)12(1841)年、土佐(高知県)の漁師である万次郎は出漁中に遭難(そうなん)し、八丈島(はちじょうじま)の南にある小さな島、「(とり)(しま)」に漂着しました。しかし偶然にもアメリカ船に救助され、アメリカへ渡ることとなりました。そして遭難から10年後に帰国し、幕府に仕えて通訳等として活躍しました。

 この万次郎が漂着した「鳥島」には、江戸時代を通じ、10数件の漂着があったことが知られています。このうち、(てん)(めい)5(1785)年に漂着した土佐の「松屋(まつや)儀七(ぎしち)船」の乗組員であった「長平(ちょうへい)」は、その2年後と4年後に流れ着いた大坂の船と日向(ひゅうが)(宮崎県)の船の乗組員と共に、廃材を集めて簡素な船を建造し、漂着から12年後に自力で脱出した話は『無人島談話』という書物等に見られます。なお、吉村(よしむら)(あきら)の小説『漂流』は、この史実に基づいて書かれました。 

 さて、上述の鳥島に漂着した10数件の中には、阪南市域の船もあったようです。(ほう)(れき)9(1759)年1月に波有手(ぼうで)村(阪南市鳥取)の「()市郎(いちろう)船」が遭難、鳥島まで漂流しました。幸いにも船は大破していなかったため、5年前に漂着し同島で暮らしていた箱作(はこつくり)村(阪南市箱作)の「五郎(ごろ)兵衛(べえ)船」の乗組員を救助し、本州まで帰り着いたという話が文献に記されています。この救助の詳細は、次回の「文化財あれこれ」でご紹介します。

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