江戸時代末期の人物であるジョン万次郎をご存じの方も多いと思います。天保12(1841)年、土佐(高知県)の漁師である万次郎は出漁中に遭難し、八丈島の南にある小さな島、「鳥島」に漂着しました。しかし偶然にもアメリカ船に救助され、アメリカへ渡ることとなりました。そして遭難から10年後に帰国し、幕府に仕えて通訳等として活躍しました。
この万次郎が漂着した「鳥島」には、江戸時代を通じ、10数件の漂着があったことが知られています。このうち、天明5(1785)年に漂着した土佐の「松屋儀七船」の乗組員であった「長平」は、その2年後と4年後に流れ着いた大坂の船と日向(宮崎県)の船の乗組員と共に、廃材を集めて簡素な船を建造し、漂着から12年後に自力で脱出した話は『無人島談話』という書物等に見られます。なお、吉村昭の小説『漂流』は、この史実に基づいて書かれました。
さて、上述の鳥島に漂着した10数件の中には、阪南市域の船もあったようです。宝暦9(1759)年1月に波有手村(阪南市鳥取)の「佐市郎船」が遭難、鳥島まで漂流しました。幸いにも船は大破していなかったため、5年前に漂着し同島で暮らしていた箱作村(阪南市箱作)の「五郎兵衛船」の乗組員を救助し、本州まで帰り着いたという話が文献に記されています。この救助の詳細は、次回の「文化財あれこれ」でご紹介します。