学校制度のはじまり

    現在の学校制度は、明治5(1872)年8月の「学制(がくせい)」発布(はっぷ)により、その原形ができました。学制は全国を8大学区・256中学区・53,760小学区に区分けし、それぞれに大学・中学校・小学校を1校ずつ設置することで実施され、それまで庶民(しょみん)の教育を担(にな)っていた寺子屋(てらこや)や私塾(しじゅく)、郷学校(ごうがっこう)などは廃止(はいし)されるところもありましたが、整理統合(せいりとうごう)したり、そのまま学校へ移行したところも多かったようです。

    阪南市域では、明治5年8月に下出(しもいで)村極楽寺(ごくらくじ)の郷学校が第三一番小学(小学校)に、明治6(1873)年6月、箱作(はこつくり)村宗福寺(そうふくじ)の郷学校(淡輪(たんのわ)村西教寺(さいきょうじ)の郷学校の出張所)が第三二番小学になり、明治6年11月には第三一番小学の学区から自然田(じねんだ)村・石田村・桑畑(くわばた)村・中村が分離して自然田村瑞寶寺(ずいほうじ)に第五二番小学が開設されました。さらに明治7(1874)年4月には、波有手(ぼうで)村(現在の鳥取)の西光寺(さいこうじ)に第一〇六番小学が開設されました。これらの学校は、それぞれ現在の尾崎小学校、下荘小学校、東鳥取小学校、西鳥取小学校にあたります。

    上記のように、当初は寺院などで授業が行われていましたが、その後、住民から寄付(きふ)を募(つの)って校舎が建設されました。


    郷学校:江戸時代末期(160~150年前頃)に幕府(ばくふ)や藩(はん)が武家(ぶけ)の子弟(してい)や庶民を教育する目的で各地に設置した学校で、明治初期(150年前頃)には地域の有志者(ゆうししゃ)等によって庶民教育を行うため盛んに設置されました。

極楽寺

第三一番小学が置かれた極楽寺(下出)

宗福寺

第三二番小学が置かれた宗福寺(箱作)

瑞寶寺

第五二番小学が置かれた瑞寶寺(自然田)

西光寺

第一〇六番小学が置かれた西光寺(鳥取)

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