皿田池の今昔

    市役所の正面に「皿田池(さらだいけ)の跡」と書かれた大きな石碑(せきひ)が建っています。これは、昭和42(1967)年にこの地にあった皿田池を埋(う)め立てた際、当時の水利関係者によって建てられたもので、裏には池の由来(ゆらい)が刻(きざ)まれています。
  それによると、ここは元々、第11代垂仁(すいにん)天皇の皇子、五十瓊敷命(いにしきのみこと)の宇度(うど)の墓と伝える前方後円(ぜんぽうこうえん)の古墳(こふん)で、約300年前に尾崎村の用水池として改修(かいしゅう)され、皿田池と呼ばれるようになったとあります。
    また、大正11(1922)年に刊行(かんこう)された『大阪府全志』には、明治6(1873)年の補修(ほしゅう)工事の際、用水をさらに確保するため池中にあった小山の丘陵(きゅうりょう)部分が削除(さくじょ)され、その際に石の棺(ひつぎ)の蓋(ふた)と太刀(たち)一振が出土したと書かれています。
  以上のような状況(じょうきょう)を見ると、古墳(こふん)であった可能性も考えられますが、現在では物的な証拠(しょうこ)がなく、伝承(でんしょう)の域(いき)にとどまっています。また、五十瓊敷入彦命の墓は、現在の岬町淡輪(たんのわ)にある「淡輪にさんざい古墳」に比定(ひてい)されています。
    皿田池は昭和42年に埋め立てられて南海町の総合運動場(グラウンドとプール)になった後、昭和51(1976)年に阪南町役場の庁舎が、平成元(1989)年には文化センター・図書館が建設されました。「皿田池」の名前は、このセンターの愛称(あいしょう)名「サラダホール」として、今に受け継がれています。

皿田池の石碑

昭和40(1965)年頃の皿田池

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