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皿田池の今昔(2017年3月)

  市役所の正面に「(さら)()(いけ)の跡」と書かれた大きな石碑(せきひ)が建っています( )これは、昭和42(1967)年にこの地にあった皿田池を()め立てた際、当時の水利関係者によって建てられたもので、裏には池の由来(ゆらい)(きざ)まれています( )
  それによると、ここは元々、第11代(すい)(にん)天皇の皇子、五十瓊敷命(いにしきのみこと)()()の墓と伝える(ぜん)(ぽう)(こう)(えん)古墳(こふん)( )約300年前に尾崎村の用水池として(かい)(しゅう)され( )皿田池と呼ばれるようになったとあります( )
  また、大正11(1922)年に(かん)(こう)された『大阪府全志』には、明治6(1873)年の補修(ほしゅう)工事の際、用水をさらに確保するため池中にあった小山の(きゅう)(りょう)部分が(さく)(じょ)され、その際に石の(ひつぎ)(ふた)太刀(たち)一振が出土したと書かれています( )
  以上のような状況(じょうきょう)を見ると、()(ふん)であった可能性も考えられますが( )現在では物的な証拠(しょうこ)がなく、伝承(でんしょう)(いき)にとどまっています。また( )五十瓊敷入彦命の墓は、現在の岬町淡輪(たんのわ)にある「淡輪にさんざい古墳」に比定(ひてい)されています。
  皿田池は昭和42年に埋め立てられて南海町の総合運動場(グラウンドとプール)になった後(  )昭和51(1976)年に阪南町役場の庁舎が(  )平成元(1989年)には文化センター・図書館が建設されました(  )「皿田池」の名前は( )このセンターの(あい)(しょう)名「サラダホール」として、今に受け継がれています(  )

 

( )

皿田池の石碑

昭和40年頃の皿田池

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