鳥取荘と筥作荘

 

    荘園(しょうえん)とは、奈良時代から室町時代末期(約500年前)まで存在した私有地のことです。その所有者の多くは京都やその近辺の貴族・寺社、有力寺社で、土地とともに多くの農民を抱え、現地には荘官(しょうかん)を置いて、経営に当たらせました。

    阪南市域には、筥作荘(はこつくりしょう)と鳥取荘(とっとりしょう)の2荘が存在していたことが資料で確認されています。

    筥作荘は、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社の寿永3(1184)年文書に、源頼朝(みなもとのよりとも)が武士の狼藉(ろうぜき)を禁じた賀茂別雷神社領42荘のうちの1つとしてその記載が見られます。このことから、少なくとも平安時代末期(約800年前)に箱作一帯は上賀茂(かみがも)神社の領地であったようです。

   一方鳥取荘は、荘園名として室町時代初期(約650年前)の観心寺(かんしんじ)文書等にその記載がみられることから、観心寺領であったと推測されています。その後、足利義満(あしかがよしみつ)によって伊勢神宮に寄進されたことが『建内記(けんないき)』という資料に記されており、伊勢神社領になったと考えられます。

    江戸時代になると、いくつかの文書に「鳥取庄(荘)」の文字がみられますが、このころには既に荘園自体は崩壊しており、現在の箱作以南を除く阪南市域を示す用語として使われていたようです。このように両荘園に関する資料は若干存在するものの、その範囲や成立の経緯、荘園内の村名、内部構造などの詳細については残念ながら明らかではありません。

    「鳥取荘」は、現在も南海本線の駅名に「鳥取ノ荘」として残されています。

 

    賀茂別雷神社:京都市にある上賀茂神社の別名。

    観心寺:河内長野市寺元にある寺院。

    足利義満:正平13(1358)年~応永15(1408)年。室町幕府3代将軍。

鳥取ノ荘駅

鳥取ノ荘駅

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