高田山古墳群は、市域の東部、男里川支流の金熊寺川と山中川にはさまれた丘陵に位置します。現在、大部分が削り取られて桜ヶ丘住宅となっていますが、もとは朝日山といわれ、4基の古墳が発見されています。この4基の古墳は丘陵上の3基が北から順に1~3号墳、丘陵裾の1基が4号墳と呼ばれています。残念ながら近年のような発掘調査の体制が整っていない時代に発見されたこともあり、詳細な調査が実施されないまま破壊されてしまいましたが、概要は以下のようなものでした。
1~3号墳ともに円墳で1号墳は直径15m、高さ2m、2・3号墳は直径10m、高さ2m。2号墳のみ埋葬施設が判明しており、主体部は和泉砂岩製の竪穴式石室で、内法寸法は全長2.27m、幅0.52m。既に盗掘を受けているため副葬品はなく、人骨2片が出土したのみとされています。1・3号墳の埋葬施設は不詳のままで破壊されましたが、2号墳と同様と考えられます。4号墳は早くに消滅しており、散乱している石室に使用された石材から横穴式石室であることが分かっています。
以上のことから、1~3号墳は5世紀中~後半ごろ、4号墳は6世紀後半ごろに築造されたものと考えられています。両者の築造時期に約100年の空白がありますが、その理由は明らかにされておらず、この古墳群を築造した人々の集落跡も今のところ見つかっていません。