弥生時代から奈良時代の塩づくり

 

    上杉謙信(うえすぎけんしん)が武田信玄(たけだしんげん)に塩を送ったという有名な逸話(いつわ)があります。この話は上杉謙信の度量の大きさを物語るだけでなく、塩が人間にとって欠くことのできないものであるということを伝えています。

    本市の平野部は猫の額ほどしかなく、コメの生産に生活の糧の多くを望むことができません。従って、古代より様々な生業が行われてきました。その一つに、塩づくりがありました。

    塩づくりと聞くと、浜辺に海水をまいている光景を思い浮かべる方がいるかもしれません。しかし、万葉集をひもとくと、塩作りは乾燥した海藻に海水を振り掛けて水分を蒸発させ、海藻に付着した塩を再び海水で流し落として濃い塩水を作り、それを繰り返すことにより、更に濃い塩水を作ります。こうして濃くなった塩水を製塩土器(せいえんどき)と呼ばれる専用の容器に小分けして入れ、濃い塩水を少しずつ継ぎ足しながら長時間煮沸します。水分がすべて蒸発すると土器の底に塩が残るわけです。

    大阪湾沿岸では、このような塩づくりを弥生時代後期(約2000~1750年前)から行っていたことがわかっています。その南部に当たる阪南市でも尾崎海岸遺跡、貝掛(かいかけ)遺跡、波有手(ぼうで)遺跡 、箱作今池(はこつくりいまいけ)遺跡などで製塩土器が出土しています。

     また、出来上がった塩は、土器に入れられたまま移動したようで、海のない内陸部の向出(むかいで)遺跡、神光寺蓮池(じんこうじはすいけ)遺跡などでも製塩土器が出土しています。

  

    波有手遺跡:現在の鳥取に所在。

    向出遺跡:現在の自然田に所在。

    神光寺蓮池遺跡:現在の石田に所在。

製塩土器

写真は向かって左から、弥生時代後期、古墳時代中期(約1600~1700年前)、奈良時代(約1300~1200年前)の製塩土器

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