文化2年8月15日 伊能忠敬 阪南市域を測量

    

    伊能忠敬(いのうただたか)は延享2(1745)年、上総国(かずさのくに)に生まれました。宝暦12(1762)年、17歳の時に醸造業を営む伊能家に婿養子に入り、商人としての才覚を発揮して伊能家を再興しましたが、寛政6(1794)年、49歳の時に家督を長男に譲り、隠居して勘解由(かげゆ)と名乗りました。翌年、江戸に出て江戸幕府の天文方・高橋至時(たかはしよしとき)に師事し、測量・天文観測などを修め、寛政12年(1800)年、55歳から足かけ17年をかけて日本全国を測量して歩きました。

    その間、毎日書き留めた『測量日記』から10回に及ぶ詳細な測量経路がわかります。その日記によると、測量隊一行は文化2(1805)年8月13日、紀州加太浦(現在の和歌山市加太)を出発し、小島浦を経て、谷川浦で宿泊し、翌14日は大雨のため当地で滞留。15日に淡輪浦を経て、尾崎村まで測量し、尾崎御坊で宿泊したことがわかります。

    阪南市に残る文献史料『文化二(1805)年甲丑八月 伊能勘解由殿浦方町間御改 上絵図之控(いのうかげゆどのうらかたちょうけんばんあらため うわえずのひかえ)』(山中家文書)は、小島村から貝掛村までの海岸線と道路、村落の所在、名称、相互間の距離や、飯盛山、大福山が描かれています。

    忠敬は文政元(1818)年、73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本初の実測日本地図『大日本沿海輿地全図(だいにっぽんえんかいよちぜんず)』が完成しました。この地図は別名『伊能図(いのうず)』と呼ばれています。 ※日付は旧暦です。

 

    上総国:現在の千葉県

    伊能勘解由:伊能忠敬のこと。勘解由は伊能家代々の隠居名。

 

伊能勘解由殿浦方町間御改上絵図之控

文化二年甲丑八月 伊能勘解由殿浦方町間御改 上絵図之控

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