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鳥取の由来(2013年5月)

  

   阪南市一帯は、古来より和泉国(いずみのくに)日根(ひね)(ぐん)鳥取(とっとり)(ごう)と呼ばれてきました。この地名は930年代に編纂(へんさん)された『()(和)名類聚抄(みょうるいじゅうしょう)』(わが国最初の漢和辞典)に初めて見られます。「鳥取」の地名については、それより200年以上も前に書かれた( )日本書紀』に以下のような説話が記されています( )

   垂(     すい)(にん)天皇の第一皇子である誉津別王(ほむつわけのみこと)は三十歳になっても児のように泣き、ことばを発しませんでしたが、白鳥が空を飛ぶ様子をみて( )あれはなにか」と初めて声をあげました( )天皇は喜び、臣下に「あの鳥を捕えよ」と命じ、天湯河板挙(あめのゆかわたな)が白鳥を追って出雲(いずも)の国で捕えました(但馬(たじま)の国で捕えたという説もあります( )。その後、誉津別王はこの白鳥をもてあそび、物を言うことができました( )この功により、天皇は天湯河板挙に鳥取造(ととりのみやつこ)の姓を賜り、鳥取部を定めました( )

   『日本書紀』は説話的な色彩が濃いですが、これらの記述は(いにしえ)の当地域と大和朝廷と( )つながりを物語るものではないかと思われます( )また、『倭名類聚抄』には「鳥取」と名のつくところが和泉国の他、河内国(かわちのくに)越中国(えちゅうのくに)丹後国(たんごのくに)因幡国(いなばのくに)備前国(びぜんのくに)肥後国(ひごのくに)にもみられます。

倭名類聚抄

倭名類聚抄

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