阪南市石田に所在する波太神社は、延長5(927)年に完成した『延喜式』に記載されている日根郡(泉佐野市から岬町域)10座のひとつです。
もとは桑畑地区にあり、室町時代に兵火で焼失したため現在の地に移築され、同時期に貝掛の指出森神社も焼失したため、現在の地に合わせて祀るようになりました。その社殿も豊臣秀吉の根来攻めの際に焼失したため、慶長5(1600)年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として修復したと伝えられています。
波太神社の参道から正面に見えるのが昭和10(1935)年頃に建てられた拝殿で、その奥に見えるのが本殿です。
本殿は神社様式から「三間社流造」と言われるもので、中は3つの間に仕切られ、向かって右側にはこの地方の豪族であった鳥取氏の祖神と伝えられる角凝命、中央には相の間をもうけ、左側には指出森神社の主神であった応神天皇が祀られています。
本殿の南にある末社三神社も「三間社流造」で、向かって右から鳥取氏の祖 天湯河板拳命、応神天皇の母である神功皇后、応神天皇に仕えた武内宿禰が祀られています。
本殿と末社三神社は平成5年12月に重要文化財に指定されました。
参道より拝殿を望む
末社三神社